2008年11月21日金曜日

試験と教育

ma: 今日はがんばって勉強してましたねぇ。

hirokickman: まあ自己満足だけど。これでやっと公衆衛生が一通り終わったことになるけど、それにしても大変だよ。これとあと法医学を勉強するかなんだけどどうしようかな…。

ma: どうするもこうするも法医学も必要でしょう。

hirokickman: いや、必要なのは十分承知しているんだけどどう考えてもコストパフォーマンスが悪すぎるんだよ。多分勉強しても点が取れない。あいつの試験問題がそう簡単なはずがない。

ma: 何かうらみがこもってますね。

hirokickman: そりゃ誰だってこもるよ。今年の四月の授業で怒鳴られまくったし、四年生の試験で受かったのがわずか7名。再再試?をしてもまだ余裕の二桁残っているらしい。彼らは無事進級できるのだろうか…。

ma: そうとうひどい先生みたいですね。

hirokickman: そりゃもう、なんでこんな人をうちの大学に連れてきたの?ってくらいの先生。もっとも無事卒業できれば「のど元過ぎればなんとやら」になるんだろうけど、それまでは本当に必死。

ma: しかも高校の先輩だとか。

hirokickman: そう。高校の先輩だといわれれば、これまで他の人を色々と見てきてなんとなく納得せざるを得ない。せざるを得ないところも悲しいけれども。

ma: 確かに高校の先輩には非常に個性的な人が多いですよね。

hirokickman: 多すぎる、というか「この人ちょっと変わっているなぁ」と思った人がかなりの高い確率で当たっているところが情けないというか。それでもやっぱりまともな人もちゃんといるんだけどね。

ma: そりゃそうでしょう。

hirokickman: まあ話は戻るけど、試験問題が滅茶苦茶難しい先生っていうのは自分が学生のときになにかトラウマかコンプレックスみたいなものがあるからだっていう説を唱えた人の文章を読んだことがある。

ma: コンプレックスがあってもなんら不思議に思わないようなそぶりですね、確かに。

hirokickman: そう。多分試験に落ちて留年しただとか、、、それくらいしか思いつかないけど何かあったに違いない。すごく勝手な思い込みだけど。

ma: 思い込みで言えば、個人的には教え上手な先生とか実力のある先生の試験問題は簡単な気がします。例えば今はもういないけど、中国語の加藤先生とか。

hirokickman: ああ、いた。あの先生のおかげで中国語の発音が良くなったもんね(といっても今はもう中国語はほとんど分からないけど)。試験が簡単すぎてちょっと物足りない感じもしたけど、でも授業はめちゃくちゃ面白かった。

ma: あとは細菌学の先生も上手かったですね。

hirokickman: 細菌学の清谷先生はかなりスタンダードな授業だったね。突出した面白さがあるって訳ではないんだけど、ちゃんと聞けばちゃんと分かる、そんないい授業だった。試験はかなりハードだったけど節度があったから途方にくれることはなかった。

ma: 大学の授業ってホント難解なのが多いですね。

hirokickman: 大学に入学した頃は「もうちょっと分かりやすく教えろや!」と思ったこともあったけど、最近はあきらめ気味。いくつか理由があって、
1.教える気がない
2.その当時に教えられても背景知識がないので分からない
3.学習する意欲がない
4.教え方が分かっていない
などなど。1, 3, 4はどうにかなったとしても2はこれはどうしようもないんじゃないかなと思っている。

ma: どういうことですか?

hirokickman: 臨床が先か基礎が先かということ。臨床医学をよりよく理解するためには基礎医学が必要だし、基礎医学をよりよく理解するためには臨床医学が必要。でも両方勉強するのは大変だからどちらか先にとなる。先に教えた先生はやっぱり不利になるということ。

ma: なんか鶏が先か卵が先かみたいな議論になっていますね。多分どちらが先とかいうよりも、鶏→卵→鶏→卵みたいな感じで行き来したらいいのかなと思います。

hirokickman: そうそう。もう少し付け加えると両方同時に勉強するのは無理でもどちらかにベースキャンプを置いておいて必要に応じて先取りする。例えば解剖で心臓の解剖を勉強したら心筋梗塞はどこが起こりやすいかとか。そうしていざ臨床で心筋梗塞を勉強したら心臓の解剖をもう一度勉強しなおす。みんな大なり小なりやっていることかもしれないけど、これをもっと有機的に関連付ける手段があってもいいと思う。

ただ、一人でするのは難しい。

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