2023年9月25日月曜日

久しぶりの

# Stay or go home

いま夜中の 0 時を回ったところで,帰宅をするかそれとも職場で寝るか決断に迫られているところ.帰っても寝るだけだしと考えると,別に職場でもいいかという発想になりがち.深夜だから周りに誰もいないし,広いしで,意外とこういうところで寝るのは悪くないかなと思ったりもする.簡易ベッドも意外と快適.

まぁでも一応お家に帰るかな.そういえばこの前買ったピザもそろそろ賞味期限が来そうだし.と思っていたが,近くにいた先生が帰ったので,多分もう自分の半径 5 m には誰もいないことは確実なのでそうするとやっぱり泊まろうかなという気持ちになってくる,午前 0 時 30 分のこと.

# Where to go

次どうしようかと考えているところ.これボケっとしていたら多分何もしないまま定年を迎えてしまう気がしてならない.それはそれでいいのかもしれないけど.

自分が学生の頃は恐らくいわゆる臨床医としての医者はやっていないんだろうなと漠然と考えていた.その時の予感は正しかったと言うか,そういう予感に引きずられながら生きているという感じがしなくもない.

そして次のことを漠然と考えているが,漠然としすぎて何も思いつかない.現状のまま進むのが良いのかもしれない.市中病院で一般病理医をするのはどうかしらね.できなくはないだろうしやれば楽しくて多分そこにずっといつきそう.住めば都的な感じが強いのでだからこそあまり行きたくないというのはある.そこから動けなくなるから.

# Behind

特に molecular and/or research 的なことなんだけど,自分にその深いバックグラウンドがないから,他の人がやっていることがとても眩しく思えてしまう.かくいう自分も FISH の probe 作ってみたり,DNA 抽出して NGS のライブラリ調整をしたりとか多分それっぽいことはしているのだろうけど,どこかで後ろめたさのようなものを感じる.いや,別に悪いことをしているわけではなくて,自分ごときが研究なんぞについて語っても良いものか,的な後ろめたさが.

逆に病理診断をずっとやってきたことの自負があるかと言われると,最近それも危うくなってきた.古典的な形態診断は今や分子生物学的手法にだいぶ置き換わり,病理部あるいは研究室の持っている検索手法が診断の精度に直結するようになった.むかしの,形態像を重視した考え方は過去の遺物になってしまっている.このような状況下で昔の知識を披露してマウントを取ろうにも御老害扱いされるのが関の山かと.