2011年3月30日水曜日

Just like a runner

# 初期臨床研修とマラソン
何もなぞかけをしようというわけではないけれども、初期臨床研修はマラソンのようなものだと思う。
スタートとゴールがある。途中で休憩もあるし激しい坂もある
うちの病院では出来ないけれども、地域医療で九時五時の生活を送ることも可能かもしれない。

ゴールにたどり着くとすぐに次のレースが待っているから大変なのだけれども。

# 最後は無気力
ここ1ヶ月間くらい本を広げていない。というか勉強する気が全く沸かない。

引越しにかこつけて勉強することをしなくなった。これは良くないけれども本当にやる気が怒らないので仕方ない…。

# 職場を離れる日
そして今の病院での仕事が終わり挨拶をする。

もちろん自分は7人いる研修医の一人で別になにか特別な業績を挙げたわけではないから他の人と同じようにお別れになる。

でも嬉しかったのは何人かにプレゼントを頂いたこと。

本来はお礼をしなくてはいけないのかもしれないが、ちょっと忙しくてそういう事をする心の余裕がなかったためで申し訳ない。

整形外科主任部長からは病理の本を頂いた。
病理が分かる人間がいれば自分が本を持っていなくてもそいつに聞けば済む話。なんでもそうだが信頼できる専門家がいればそいつに頼んだほうがいい
確かにその通りだと思う。加えて
以前骨腫瘍の病理診断を出したことがあるが、骨軟部腫瘍は難しいみたいで良性なはずなのに悪性というかなりとんちんかんな診断が返ってきた。骨軟部腫瘍を専門にしている人から見れば簡単なはずだが分からない人が診れば患者さんの一生を左右する
多分こういう経験があって信じられるものを吟味するようになったのだろう。メールアドレスをもらって大学でメールアドレスを取得したらまずここに連絡するようにと。「分からないことがあったら」まだ病理は何も知らないけれどもそれでも少し自分を信頼してくれているのかもしれない。

# 結論
月並みな結論だけど色々あったけど、楽しかったと思うし勉強にもなった。何も出来ない最初と違ってある程度できるようになって出来ないこと、将来的にはしないだろうということがはっきりしてきた。

それでも病理はexcitingな診療科だと思う。

4月からは根性を入れ直して少し頑張ろうと思う。

以上。

2011年3月24日木曜日

Commencement.

もはや卒業式では定番の?commencementのネタ。数少ない卒業式で二回くらい聞いた気がする。
Commencementとは英語で卒業という意味と始まりという二つの意味がある。一見相反しているようだが、何かからの卒業とはその後の新しい始まりを意味していることで君たちには新しい生活が待っているのだ。
というもの。

うちの職場でも自分を含めて辞めてNEETになる人、転職して新しい職場に行く人、結婚退職の人、病気の療養になる人もいた。

最近は事ある毎に「関東って大丈夫?」(正確には北関東だけど…)と聞かれる。多分今だったら関東に行こうとは思わないだろうけれども、もう決まってしまった以上は仕方あるまい。腹を括って死ぬときは死ぬしかない。

そんな覚悟を持っていくわけではないのだけれども、 如何しようもないことに対してただ静観するのみ。

#Be ready to leave hospital
退院患者さんではないけれども、そろそろ病院を離れる準備をする。

少しずつ片付いてきて、でも意外とまだ机周りは汚い。

昨日、一昨日の食事会ではなんともなかったが、だんだん現実味を帯びてきたような気がする。

2011年3月20日日曜日

Earthquake and food deficiency

# More than just an earthquake
なんでこうなってしまうのか東日本大地震。

自分が行こうとしているところは直接的な被害はないものの本棚が倒れたり、ガラスが割れるくらいの被害はあった模様。

もちろんなくなった方もたくさんいてそれ自体が非常に大変なのだが、現に生きているものとしては実際地震それ自体で受ける影響というよりもそれ以外の波及の方が怖い。

例えば壊れた道路は直されて多分今年末にはほとんど元通りになるんじゃないかと思う。その他のライフラインも一時的だけだと思うし少なくとも今の自分には影響はない。

しかし、食料や日常生活品は根本的な不足というより不安にかきたてられて大量購入されたため不足している。

被害が少ないところは多分地震本体よりも地震に対する集団心理の結果の方が怖い。ガソリンや食料の値段が上がるかもしれないし、多分ないとは思うけど、暴動が起こる可能性もある。こういうのは実態がない分、これからよくなるのか悪くなるのか見通しが立ちにくく非常に心配になる。

#Tokyo is fragile
今回の地震で東京というところがいかにもろいかということが良く分かった。

つい1週間前に行ったところなのに渋谷や新宿が人で溢れかえっていたりするのを見ているとなんか不思議というか違和感がある。ちょっと時間がずれていればあの長蛇の列の中にいたかもしれない。

#Move
引越しの準備を着々としているが、なかなか進まない…。 今まで住んでいた部屋に収納とか整理という概念がなかったため、当然のごとくダンボールにもそれが反映されることになる。

明日引越しだから本当は今死に物狂いで詰めないといけないのだろうが、ちょっとつかれて病院に来てパソコンを叩く。

#Handle Name
いまもハンドルネームというのかな。18歳の時に(ほぼ実質)初めてパソコンに触れてその時からhirokickmanというハンドルネームを使ってきたけど、googleで調べると、色んな軌跡が載っている。Macbookが急に電源が切れたり、橋元流の大原則を賞賛してみたり。。。

この先10年後、20年後にこれらの検索結果がどうなっているのかは興味のあるところ。もっと違う業績が載ったりもしくは古すぎて表示されなかったりするのだろう。

Internet Archiveという全世界のページを保存して見られるようにするサイトがある。URLを入力すると保存されていれば現在見ることができないページも見れるというもの。昔学生時代に作っていた茶番なサイトもここに入っていた。

すべてが劣化せず記録されている中で、インターネットと全く縁のない人(具体的には本名で検索しても引っかからない)は多分この先非常にレアな存在になるのだろう。

2011年3月15日火曜日

At Haneda airport 22:32

#One more hour left
さっきブログ用のentry記事をちょっと書いてみて、その後臨床研修用の資料を作ってみて、そしてさらに時間がある。う~ん、どうしようかなと思っているところ。

左前には結構な美人の人がいる。ちょっと和む。

#自分の呼称
4月から一応臨床助教という立ち位置のシニアレジデント。他の臨床科達と違って自分の下には初期研修医ですら人がいないから自分が一番下っ端になる。

やっぱり下っ端は嫌だなぁ。。。

一方タイトルが臨床助教になるので(よく分からないけれども多分正規のスタッフではない)、社会的な体も変わってくる、はず。

「病理医です」

なんて恥ずかしくて名乗れない…というささやかな悩み。というか多分一般の人には病理医がなんたるかということをあまり知らない人が多いと思う。

「脳外科医です」
「整形外科医です」
「泌尿器科医です」
「精神科医です」

同級生たちを見ていくとこういう事になるんだろうけれども、なんか違和感を感じる。ほんとうにこいつらで大丈夫だろうか…。まぁ自分に対して一番思うけれども。

#責任のとり方
研修医という身分は「守られている」ということでありそれは多分ほぼ同値で「何も出来ない」ということになるんだと思う。もちろん守られている、というのはいろいろな意味があって法的に守られていたり、後ろで常に見守ってくれていたりする。

でも例えば研修医がなにか失敗をして訴訟になったとき本来守られていれば研修医に対して訴訟を起こされることはないはず、病院や指導医が訴えられることがあったとしても。

でもニュースを見ていると研修医でもポカすると訴えられるみたい。それじゃあ責任てなんなのさ、という気になってくる。

責任を取る人たちっていうのは責任をどうとっているの?金?辞職?いずれにせよはっきりしない気がする。

2011年3月13日日曜日

At Haneda airport

#Late flight
今このentryを書いているときに羽田空港のスターバックスでLet's note R8で小さいキーボードと格闘しながら入力している(買うときはこの小さいのに憧れていたんだけれども実際に使ってみるとちょっといまいちな感じ)。

自分で予約しておいてなんだけれどもこのフライト遅すぎる!23時30分て、、、あと3時間はあるし。。。

その間に(勉強ではなく)ブログのネタを書きためておくか。そのためのLet's noteなのか。

#Trivial thing
空港で荷物を預けようとして、その中に袋に入ったおみやげがあった。

hirokickman: あのー、このおみやげの袋、って預かりできますか?
office staff: 預かることはできますが、中身が破損した際の保証は致しかねます。
hirokickman: 構わないんでお願いします。あと封はした方がいいですよね?
office staff: そうですね。
hirokickman: テープみたいなものありますか?
office staff: ありますよ。お貸ししましょう。

といって航空会社のロゴ入りの布テープを貸してくれた。そこでビリビリ貼っていると、後ろでスタッフが苦笑。ってそういうのって普通空港会社の人がやってくれるんじゃないの?

#walking is like swimming
H県→F県(→T県)といろいろなところに住みだすと意外に違う習慣があったりする、こともあるくらいで(国が違うわけではないので)実際は99.5%一緒。違うのは食べ物と多少の方言くらい。

大学でH県にいたときは週1回は必ずお好み焼きを食べていたし、週3回くらい続くこともたまにあった(家、友達など)。ただ、(自分だけかもしれないが)お好み焼きとビールの組み合わせはほとんどなかった。多分お好み焼きを食べる感覚が秋刀魚焼き定食を食べるのと似ていて、嗜好というよりも日常という雰囲気に似ているのだろう。

だからF県に来て、数カ月に1回くらいに減ったお好み焼きを食べる時、例えば夜だったりすると必ずビールが付いてくる。もちろん構わないのだが、かなり違和感があった。

あとF県に来て驚いたのが、うどん屋さんが半端無く多いこと。H県にいたときはうどんなんて定食屋さんのメニューの一つで、まぁ他に特に頼むものもないしうどんでも頼もうかなとか、学食でケチろうとしたときに頼むくらい。

それくらい馴染みの薄いものが「うどん屋さん」として独立して何件も店を構えている。こういう状況を見て非常に驚いた。F県の人曰く「うどんおいしいよ」とのこと。たしかにそうだし行ってみてバリエーションの多さにびっくりしたけれどもまだ違和感が大きくある。

でもって小タイトルの意味は東京では人ごみの中を歩くというより泳ぐ感じ。周りの人とタイミングを合わせて横切らないとぶつかってしまう。流れに逆らおうとするとすごく抵抗を感じて前に進めない、など。それだけ。

2011年3月11日金曜日

家さがし&東京めぐり

#Find a new house for living.
この前新しく住む場所を探すために東京の周辺のとあるところの不動産屋さんへ行ってきた。

本当は即決するつもりはなかったけど、なんかピンと来て職場に結構近いある部屋に決めた。こういう決め方はあまり良くないのだろう。本当は他の要因などを考慮してから決める必要があるのに。

ただ、まぁ家賃も安いし、いざとなったら別の部屋に引っ越せばいいし、という軽い気持ちで引越しを決めてみた。

#What house is just for me?
2年前に一人暮らしを初めてしてホームシックになることはなくて逆に非常に晴れ晴れとした(もちろん仕事は大変だけれども)感じだった。多分もう実家にはどうやっても戻れないと思う。

自分は本を沢山買うほうなので(読むか読まないかは別にして)、どうしても本棚が大量に必要になる。買った本を眺めておくだけでもうれしくなる。今の部屋はワンルームでちょっと手狭。

そういう自分にあった部屋っていうのはどれくらいの大きさなのか。知るか!っていわれそうだけれども実際に済んだことがないのだからわからない。

もっとも1LDKとか2LDKとかの区別もついていない人間だし、多分住めば都でどこでもいいんだろうとは思うけれども。

#東京めぐり
今回も余裕を作って東京を巡る。といっても東京駅近くの丸善→池袋のジュンク堂→秋葉原でぶらぶらという程度。あとは現在いるF県でなかなか味わう機会のないファストフードをたしなむくらい。

誰かと行くともっと楽しめるのかもしれないけれども、普段の、身の丈に合った楽しみ方としてはこれくらい。

2011年3月9日水曜日

雑多感

Sat 21:40 @ マクドナルド

#1 無駄に本が増えてきていること
色々なことを知りたい、やりたいという欲求だけが先回りして色々と本を買い込んでしまう。なまじ給料がいいもんでしかも他に使う当てがないからどんどん蔵書が増えていく。

基本的に自分が好きな、読みたい本ばかりだから本棚を見ながらニヤニヤしてしまうだけで終わることが多い。

なるべく買った本はよもうとは思うけれども、多分全て読み終えるのは今から本を買うのをやめて数年後になるのではと思ってしまうくらい多い。

#2 Google日本語入力があまり賢くないこと
医学用語もバッチリ!すばらしいgoogle日本語入力と思っていたが、最近はなんか変な変換が多いような気がする。

例えば「変換」が「返還」と出たりする。

よく良く考えてみれば奨学金「返還」などと入力した後だからある意味当然なのかもしれないけれども、ちょっと文脈が違うような気がする。

baidu日本語入力はあまり使う気になれないし、物書きではないのでATOKを買ってまでしようとは思わない。

そういえばWinAnthyを試していなかったがどうだろう。

#3 臨床研修レポートの作成中
いわゆる「ちゃんとした」人たちには分からないかもしれないが、今レポートを早くかけと結構葉っぱをかけられている。

2年間で自分が書いた退院時サマリーはゆうに450枚を超えている。もちろんその中にはアル中の人みたいに「こんな人いたっけ?」みたいな人から多分一生忘れないだろう貴重な経験をした人、上司に言われて色々治療法を調べて実践してみた人など。

同級生は200枚ちょっとの人がいるから自分にサマリー手当がほしいくらいと思うがあまり文句は言ってはいけないのだろう。

うちの病院のサマリーはある意味適当で大学病院のそれとはかなり違う。うちの病院のかなりちゃんとしたレポート=大学病院のサマリーと言ってもいいかもしれない。(多分多くの病院はそんな感じだろうとは思うけれども)

で一度書いたサマリーをもとにレポートを書きなおしていると「なんでこの検査してなかったの?」とか「痰培養の結果書いてないじゃん!」と突っ込みたくなるような恥ずかしいようなことが多い。

まぁそんな余韻に浸る暇なく尻叩かれながら書くわけだけれども。