2011年4月27日水曜日

Life is hard.

#1 何となく内部抗争?
どこの世界でもそうなんだろうけれど、内部での対立という大人の話がある。

知らなければいいものを中途半端に知ってしまうと自分はどっち側の人間なんだろうと考えてしまい、無意識に片方についた言動をしてしまう気がする。

そうなると反対側陣営?に対する消極性が目立ち、結果向こうの積極性もなくなりなんかまずい関係になってしまう。

ぼやけた話だけど、結論はなんか自分に対してえらく不親切な人が数名いるということ。利害関係の(おそらくは)ないはずの新人さんに対してなんでこんなにも不親切になれるのだろうかとちょっと考えた。

まあ人間関係のあり方としてやっぱりそういうのはよくないので、どう転んだとしてもとりあえずdutyだけは必ずやろうと自分に言い聞かせる。

#2 Extremely free
来るまで知らなかったけど今いる病院は土日が休み。びっくりした。まだ自分は剖検に入れないので(資格もないし第一技術もないorz)当番に当たることもない。

多分これからすこしずつ忙しくなるのだろうけれども、こんなに暇でいいのと思ってしまうくらい。

この前当直行った時もほぼ完全な寝当直だった。

去年までの生活レベルと格段に違う。やっぱりこれじゃだめだなと大いに思う。

#3Poor physical condition
#1, 2とも関連しているのかもしれないけれども、日常生活に張りがなくなったためか結構簡単に風邪をひく。

今もちょっと喉が痛くて体が怠い。

しかも前述のとおり仕事をしなくてもそれはそれでなんとかなるところが怖い。

まあとりあえず今日も少しは頑張るか。

2011年4月17日日曜日

What to do next...

#1 Goal is the same, but the way to the goal is different.

病理部に来てはや2週間が経ったけど、いいのか悪いのか放置気味なところが多い。

診断部の教授、准教授はたまに「これを見てみて」とスライドを渡してくれたり切り出しを一緒にしたりしてくれるけど、それ以外は基本的に放置。

もちろん聞いたら教えてくれるけど、聞かなかったら何も教えてくれない。
何も教えてくれないと口を開けて待っているだけでは駄目だ。自ら動いてどういう事が分からないのか、何をしたいのかを見つけて周りに働きかけなくてはいけいない。
という人もいるだろう。そういう人がいたら将来自分が偉くなったときに徹底的に放置をしていじめてやりたいと思う。

持論としては少なくとも自分である程度判断できるようになるまではつきっきりで教える。それ以降はほとんど干渉しない。初めての人に「自由にしていいよ」とか「好きなようにしたら」なんて口が裂けても言わない。何も知らない人が自由にするとお互い大変に危険だしはっきり言って無益。

パソコンを使ったことがない人に「自由に使っていいよ」とパソコンを与えても枕にもならない。

#2 Paternalism vs Anti paternalism
パターナリズムの対義語でしっくり来るものがなかったので上のようにした。

この前誘われて病理の先生、外科の先生、内科の先生と飲みに行った。

同僚にはなるんだけど、みんな自分より一回りくらい年齢を重ねた人たち(病理って20歳代の若い人達がいない気がする…)。

他の先生達は若手とはいっても結構ベテランに近い先生たちなので患者さんをたくさん抱えていたり研修医の教育係だったりする。

とある先生が患者さんが喫煙を止めないと「止めないのならもう来なくてもいいですよ」と言うとのこと。

禁煙が治療上必要でそれが守れないなら治療効果が満足に得られない(化学療法とか)場合は、喫煙を続ける=治療拒否と判断して上記のような言い方もできるのかもしれない。

これを治療拒否だととるのかパターナリズムととるのか。

ちなみにこういうと大抵はびっくりしながらも禁煙して戻ってくるのだとか。

そりゃそうだわ。。。

個人的にはこういうパターナリズムをするのは無理。外来をすることはおそらくもう無いんだろうけれども仮にしたとしても自分ならこういうだろう。
タバコを今やめないと〇〇なると一般的には言われています。そのために寿命が短くなる可能性がありますが、これはあくまで確率論なのであなたの寿命が確実に短くなるかは誰にもわかりません。しかし降水確率と似たようなもので例えば80%の降水確率ならば普通は皆さん外出するときに傘を持っていきます。皆さん各自の価値観があって長生きをするだけが全てではありませんし傘を持っていかない人もいます。しかし今タバコを止めると長く生きれる可能性があります。最終的には△△さんの判断にはなりますが、こちらとしては禁煙することを強く勧めます。
長いけど自分たちは止める・止めないを選んだ時に想定されうる経過を示すことくらいで判断に踏み込むのはよくない、と個人的には思っている。 よく問題集に書いてあるのが、「どちらを選んだとしてもあなたを見捨てることはしませんよ」というスタンスを示すこと。

#3 World of pattern recognition
というわけで一日も早く疾患名、疾患の典型的な組織像を覚えるべく緩やかに頑張り中。

2011年4月14日木曜日

Training is making lots of mistakes.

#1 A week has passed.
病理診断の研修が始まって一週間経過した。ようやく慣れてきた、というよりも何となくこういう勉強をしなくちゃいけないんだろうなということが分かってきたレベル。

そしてBSLで回ってきている学生さんのほうが数倍賢い…。

とりあえずしばらくは後ろで色々しているのを見学する、時々診断する。

なぜだか分からないが、BSLの学生さんのほうが切り出しをしたり、診断の下書きをしたり明らかな自分よりやっていることが多い気がする。

上司と一緒に検鏡。

「この腫瘍は良性だと思う?悪性だと思う?」
「核異型も殆ど見られず、また核分裂像も認めないため良性だと思います」
「そう?」

とその後一緒に顕微鏡で見ていたらあれよあれよという間に核分裂像を見つけ出す。まぁ人間同じものを見ていても見えていないことなんて山ほどあるんだねぇ。

結論:日々精進。

#2 Earthquakes
ここ一週間は大体1日1回くらい強め(ここだったら震度3~4くらい)の地震が起きる。もはや驚いている人は誰もいないしそれで仕事が中断することはない。物が倒れなかったらそれでいいかな、くらいの認識。

慣れてくると揺れてないのに揺れているように感じてしまったり。正直良く分かんなくなる。でも顕微鏡を見ているときに揺れると酔う。

今では世界的に有名なFUKUSHIMAから100km以上離れているから大丈夫だろうけど、それでも福岡のほうがまだ安心。

今いる病院が地震で倒壊したら「実家に帰らさせていただ」こうかな、と思うけれども多分しばらくはいそうな感じ。

#3 Trivial thing.
顕微鏡について。同僚の先生が顕微鏡は背景が少し褐色かかるくらいの暗めで見たほうがめが疲れにくいよと教えてくれた。

数人が並んで同じものを検鏡できる(接眼の眼鏡がいくつもついているあれ)を見るときのスライドがないレンズ側にたった時が最悪。

自分は左目が弱視でほとんど見えない。なので基本的に右目で見ていることになるんだけれども、焦点の調節が左側にある。あれを回してもなかなか焦点が合わなくて結局ボケた画像を見ていることになるのでこれまた非常に酔ってしまう。

#4 病理学会総会
よく分かんないけれども、病理学会総会がそろそろあるみたい。なんか行けるみたいだけど、まあ今行っても正直良くわからんだろうな。

ランチョンセミナーを楽しみにしておこう。

2011年4月7日木曜日

Pathology starter

#New life with new electric appliances.
電子レンジが周波数の違いで福岡で使っていたものが使えないことが判明。

っていうか気づくまで普通に使っていたんだけど…。

仕方ないので某ケーズデンキに行って一番安い電子レンジを探す。行ってわかったけど、電子レンジは全て周波数が50 or 60Hz専用で両方共対応というのがない。

電子レンジという構造上の問題かな?と思ったけど、オーブンレンジは50/60Hz共用なので一体何が違うのか分からない。。。

#What to start.
臨床科っていうのはほとんどが初期研修からの続きで比較的違和感が少ない。仮に違うことをするんだとしても例えば点滴の指示を出す、ルートを確保するなんかは患者さんを診るかであれば共通のはず。

放射線科と病理を除いては。

放射線科はまぁ大学病院くらいになると自分で患者さんを抱えたりするから(ほかはどうか知らないけど、うちの大学はそうだった)臨床的な性格は強い。特にIVRや放射線治療はまさにそう。

ところが病理は初期研修中にやらなければ100%素人。

外科系の科ではオペで取ってくる→病理に出す→返ってくるくらいの認識しかなくって、そんな軽い認識で挑むと極めて知らないことが多いことに気づいた。

ポリクリで回ってきた学生さんのほうがよく知っていていったい自分は何なんだろうということに。

これまでは若干の優秀キャラだったが、ここでは完全な若葉マークキャラ。

指導医の先生も気を利かしてくれているのか?質問は学生さんで自分にはほとんど聞いてこない。

今月の目標はとりあえず切り出しを何とかできるようにすること。

同期(だけどずっと先輩)の先生に借りた本を参考にしながら少しずつ勉強することに。

Review of a two-year training and being ready for a new life

#1 Two years is a good time for general training.
もはや自分は初期研修医ではなくなり後期研修医、シニアレジデント、臨床助教というまぁいくつかの肩書きを貰っている。

2年間経ってできるようになったことはたくさんあると思うけど、じゃあ全て一人でできる?と言われると非常に自信がない。

まあ実際そういう状況に立たされたら腹を括ってすることにはなるんだろうけれども。

#2 Get along with other staffs.
仕事の達成度というのは私見では90%は周りの環境に左右される。例えば救急外来をうまく回すためには優秀な看護師によるtriageが必要だし、待ち時間が発生する旨を話し同意を得てクレームが発生しないように事務が頻繁に患者さんに声掛けを行うなど。

血液検査、心電図・エコー、レントゲンなど時間外であっても検査が正確であることは非常に重要な武器になる。

これは自分を中心にして考えてみたけれどもこれは他のスタッフとしても同じで看護師にとってみれば判断の早くて正確な医師のほうが重宝されるに違いない。

前に自分のいた病院はこの点では他のスタッフのパフォーマンスが非常に高かった。なので研修医のクオリティが多少低くてもそれを補って事故が起こらないようになっていたと思う。

2年間通して心がけたことはいくつかあるが、その内の一つが「コメディカルと仲良くすること」。まあ性格的に飲み会はあまり行かなかったが、それでも検査科・放射線科・薬局・看護部(看護部は主に関わる病棟・外来だけだけど)・連携室くらいのスタッフの顔・名前は全員把握していた。リハビリは人が多い上に入れ替わりが激しいから途中からフォローできなくなったけど。

#3 Point for practice
仲良くするとはどういうことか。医療行為をする上で本当は必要ないのかもしれないけれども、例えば「〇〇さんは△△さんのことを嫌っている」などの情報は重要で(活用するしないは別にして)これを把握することで仕事がしやすくなる(具体的には禁忌フレーズを回避できる)。

しかし「△△さんは××さんのことを好きだ」などという情報は(これも私見だが)あまり重要ではない。ゴシップとしては楽しいけれどもそれによって空気が悪くなることはあまりない気がする。30歳の女性看護師さんに対して1年目の研修医を隣において「◯ちゃん、顔は悪くないし最近性格もよくなったと思うよ。早くしないと行き遅れるよ。」と散々言った挙句、後でその隣にいた研修医と実は付き合っていた、という何ともなぁということもあったけどね。

「嫌っている」次に重要なのが「どうでもいいこと」。例えばちょっとした違いで良い、髪型が違う、髪の色が違う(スタッフは制服があるので他の違いは基本的に無いはず)。コンサートに昨日行ってきたばっかり、なんかでもよくそれを指摘してあげる。

自分もそうだが、ちょっとした変化を気付いてくれると(恋愛感情はさておき)やっぱり嬉しい。自分の場合は痩せた太った位の変化しか指摘されないけれども。

リハビリ診察なんかの時には毎回患者さんの状態を一言で(車椅子移動、肩が痛い、風邪気味など)書いておき、毎回経過を確認すると(多分だけど)評判がよい。まぁ評判が良くても収入は増えないのでなんだけど。

2011年4月6日水曜日

Burn out

#1 Burn out.
いわゆる燃え尽き症候群。前の職場で仕事を辞めていく人の理由は大体次に分けられる。

1. 転職:もっといい就職先が見つかった、実家に戻る、もっと楽な職場に行く
2. 結婚・出産:いわゆる家庭に入る
3. なにもしない:いわゆるNEETや派遣で働く人達
4. 療養:うつ病?から持病の悪化など。病院スタッフも所詮は人なので悪くなる

これらの中で1≒3>2>>4という感じ(統計を取っているわけではないので分からないけど大まかな順番は変わらないと思う)。

3の人の行き先を若干心配する。真面目な仕事をしようとしたときにブランクの期間は大抵よくは思われない(女性の場合は結婚・出産は例外だけど)。

3の人はおそらく忙しく仕事をしすぎて燃え尽きて何もやる気が無くなってしまったのだろう。話を聞くとこの病院で5年以上働いたベテランの人と1年ちょっと働いた新人卒くらいの人がほとんど。長いか短いかで中くらいはあまりいない気がする。

#2 Stop the fire before burning out.
燃え尽き症候群という言葉が出来ているくらいだから燃え尽きを全て無くせというのは無理な話。でも火が出ていれば炭になる前に水を投入するくらいのことは出来るはず。

ただ、一度燃え出すと燃やしているのか勝手に燃え出して止められなくなりススになっている状態なのかを判断するのは難しい。

#3 How about me?
自分はというと多分今年の12月ごろからburn outになったと思う。さすがに仕事をやめようとは思わなかったけど、救急対応(前の病院ではこれを「罰ゲーム」といった)をするのが非常に億劫になった。

なぜ罰ゲームかというと「別に絶対に救急対応をしなくてもいいから」。仕事なんだけど、救急対応にノルマがあるわけじゃない。行かなくてもちょっと小言を言われるだけ。にもかかわらず変なのを引いてしまったら本来の仕事・研修に支障が出てしまう。

上級医が一人も救急対応に来ないことはしょっちゅうある。入院・帰宅の判断をするときは必ず上級医にコンサルトをする必要があってそれは各科。各科の先生も忙しいから「それうちの科じゃない」とかたらい回しを食らって2-3回電話をすることはざら。しかも電話で主訴からずらずらと話をしなくちゃいけないからかなりめんどくさい。

逆説的かもしれないけれども、軽症であればあるほど、帰宅可能であればあるほど面倒。重症の場合はどの科が大体はっきりしていることが多く必ずどこかで入院を持ってもらわないといけないのでこちらとしてもコンサルトしやすい。原因不明の意識障害なんかは内科が取ってくれる。

どれだけ自分が頑張っても評価されない状況が続いた。

これも逆説的かもしれないけれども、知識や経験が身につくに連れてやる気が失せてきた。1年目と違って2年目になると「これは〇〇で入院の必要がある」とか「△△でシーネで巻いて明日整形外来でよいだろう」などの判断がつくのだけれども、それでもコンサルトしないといけいない。自分の診断も(正診ではなく救急外来の趣旨に則った診断として)大きく外すことはなくなった。

がむしゃらにやってきた時期とは違ってルールを意識した診療になると非常にやりにくくなる(まあ今はもう研修明けだからいいんだけど)。

そんなこんなで1~3月は仕事をするけど、頑張らないということになった。

さて4月からはどうなるか。

2011年4月5日火曜日

Fukuoka to Kanto

#1 Car and ship
3月30日長年(といっても2年間だけど)お世話になった北九州を出発。広島で一泊して翌朝徳島まで高速道路を走らせ徳島からフェリーで東京まで、そこから病院まで2時間弱走り4月1日の入職式に30分前に到着する。

なんともエイプリルフールのような話。

#2 high way is something I like.
1年ちょっと前に車を買うまではクルマを運転することはストレスだった(というかそもそも年に1回運転するかしないかなのであれだけど)。車を持って運転するようになってもしばらくは制限速度をきっちり守る、スピードが出さない、という感じのドライバーだった。

でも1年経つと人は変わるのか、バックでの駐車はちゃんと出来るようになったし、制限速度+10km位のスピードで走るようになった。

何よりも教習所時代は怖くて怖くて仕方なかった高速道路が今は楽しくて仕方ない。もちろんむやみに高速を走ることはないし少なくとも周りの車よりずば抜けて走ることはないけど(あくまで制限速度+10kmの範囲)、それでも楽しい。

デミオは一番安いエントリーモデルなんだけど、よく走るし、4人乗ってもちゃんと踏み込めば加速性も全く問題ない。他の車を試していないからよく分からないけど、軽自動車よりも断然いいし結構気に入っている。

#3 Seasickness
北九州~徳島~東京という航路でフェリーが走っていて、今回は徳島→東京という経路でデミオ(愛車?)を載せて乗ってみた。

最初はほとんど揺れず、意外と携帯も繋がって「別に孤立するわけじゃないのね」と思っていた。船内の自動販売機で冷凍食品とお菓子を買って食べて一眠り。そしてブログネタを書いて、さぁそろそろ夕食をと思ったところ、少し揺れがきつくなった。

多分大丈夫だろうと思っていたが、これがまた揺れる揺れる。さっき食べた喫茶室でレトルト食品を購入しレンジでチンするも気分が悪くなって一口食べて断念。勿体無いけど捨てた。

その後は安静臥床が翌朝まで続き、なんとか船酔いを残さずに下船できた。

#4 Tokyo is fragile.
東京という町は事故に対してもろい、ということを以前のエントリーで書いた。下船してから首都高速で栃木まで行こうとしたら千住新橋付近で事故のため強制で下ろされるとのこと。

後で調べたら朝4時前くらいの事故らしい。朝7時頃でもまだ交通止めで昼過ぎでもまだ通行止めだったらしい。

何も事故が起きていない時ほどスムーズに物事が運ぶけど、一度事故が起これば非常にもろい。まぁ入職式は別に出なくもよかったからあれだけど、確実な交通手段というのは東京で見つけるのは意外と難しいと思った。(まぁ他でも似たり寄ったりかもしれないけど)

Fukuoka to Kanto

#1 Car and ship
3月30日長年(といっても2年間だけど)お世話になった北九州を出発。広島で一泊して翌朝徳島まで高速道路を走らせ徳島からフェリーで東京まで、そこから病院まで2時間弱走り4月1日の入職式に30分前に到着する。

なんともエイプリルフールのような話。

#2 high way is something I like.
1年ちょっと前に車を買うまではクルマを運転することはストレスだった(というかそもそも年に1回運転するかしないかなのであれだけど)。車を持って運転するようになってもしばらくは制限速度をきっちり守る、スピードが出さない、という感じのドライバーだった。

でも1年経つと人は変わるのか、バックでの駐車はちゃんと出来るようになったし、制限速度+10km位のスピードで走るようになった。

何よりも教習所時代は怖くて怖くて仕方なかった高速道路が今は楽しくて仕方ない。もちろんむやみに高速を走ることはないし少なくとも周りの車よりずば抜けて走ることはないけど(あくまで制限速度+10kmの範囲)、それでも楽しい。

デミオは一番安いエントリーモデルなんだけど、よく走るし、4人乗ってもちゃんと踏み込めば加速性も全く問題ない。他の車を試していないからよく分からないけど、軽自動車よりも断然いいし結構気に入っている。

#3 Seasickness
北九州~徳島~東京という航路でフェリーが走っていて、今回は徳島→東京という経路でデミオ(愛車?)を載せて乗ってみた。

最初はほとんど揺れず、意外と携帯も繋がって「別に孤立するわけじゃないのね」と思っていた。船内の自動販売機で冷凍食品とお菓子を買って食べて一眠り。そしてブログネタを書いて、さぁそろそろ夕食をと思ったところ、少し揺れがきつくなった。

多分大丈夫だろうと思っていたが、これがまた揺れる揺れる。さっき食べた喫茶室でレトルト食品を購入しレンジでチンするも気分が悪くなって一口食べて断念。勿体無いけど捨てた。

その後は安静臥床が翌朝まで続き、なんとか船酔いを残さずに下船できた。

#4 Tokyo is fragile.
東京という町は事故に対してもろい、ということを以前のエントリーで書いた。下船してから首都高速で栃木まで行こうとしたら千住新橋付近で事故のため強制で下ろされるとのこと。

後で調べたら朝4時前くらいの事故らしい。朝7時頃でもまだ交通止めで昼過ぎでもまだ通行止めだったらしい。

何も事故が起きていない時ほどスムーズに物事が運ぶけど、一度事故が起これば非常にもろい。まぁ入職式は別に出なくもよかったからあれだけど、確実な交通手段というのは東京で見つけるのは意外と難しいと思った。(まぁ他でも似たり寄ったりかもしれないけど)