2012年9月3日月曜日

Something technical

#1 Read the slide
だんだん標本が少しずつだけど読めるようになってきた気がする。もちろん完璧とは程遠いけど、ある程度全体を見回しながら、大きく外すことは少なくなった(=まだある)。

全体をだいぶ俯瞰できるようになった、ということは、言い換えればどこに穴があるのか大体見渡せるようになった、ということなのでしばらくはその穴を埋める作業になるのだろう。

そしてある程度穴が埋まってきたら、今度は精度を高めてvariationを知る、ということなのだろう。

#2 Evidence based pathological diagnosis
診断が揺れることがある。どっちでもいいんじゃないか、という気がすることも(high grade dysplasia vs well differentiated adenocarcinoma, 本当はきちんと区別しないといけないんだろうけどadenoma carcinoma sequenceを考えると線引きは難しい)。

その時に「僕の基準では…」「私の基準では…」という言葉をしばしば聞く。「自分の中での基準をもて」とも。

どこかではevidence based medicineという言葉が叫ばれて久しいが、ここでは立派なexperience based medicineが展開されているのかなと。そもそも病理診断自体が権威主義の傾向が強い(そうでもないよ、というかも知れないが困ったときのコンサルテーションはエビデンスレベルでいうと専門家のアドバイスレベル、ということになる)。免疫染色でだいぶ白黒つくけど、まだまだアナログな世界。

もちろんevidence based medicineに100%賛成することはないし、その逆もまたしかり。

#3 Two kinds of pathologists
Practical pulmonary pathologyに載っていたような。病理医は2種類に分かれるそう。ひとつは診断基準のこれとこれを満たしているから●●だというタイプと、ゲシュタルトを認識する、つまり全体を見てこれは●●と同じものだ、というタイプだと。

実際はゲシュタルトとクライテリアを両方とも用いて診断するのだろうけど。個人的に自分は病理診断においては前者のタイプだと思う(それは半分は経験が足りないから)。でも臨床においては半々くらい。英語においては完全に後者。

多分慣れればだんだん後者になるのだろう。もちろんゲシュタルト=経験と簡単に片付けてはいけないのだろうけど。

#4 +α
さっき「先生、パソコンと医学と語学を除いた趣味ってなんですか」と言われてふと何もないなぁと思った。Phraseで要約すると、すなわちそういうことなのだろう。

組版とかレイアウトに興味があるとか言ってもふーん、と言われる。興味関心なんてものは所詮そんなもの。人と違うように思われても多分違うfieldに行けば、基準が変わるからもしかしたらその他大勢になるかもしれない。



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