2013年1月6日日曜日

New year.

#1 Keep on.
昔(今も?)やっている遠山顕の英会話入門で最後に言われる言葉。確かKeep on smilingで締めくくられたような気がする。

継続は力なりとはまさにそのこと。進歩がないように見えても、一歩一歩進んでいくことは大切なのだろう。

今年の目標を考えてみる。まずは病理診断から。

a. Diagnostic cytopathology
b. Electron microscopy
c. Brush up diagnostic surgical pathology

病理診断の道のりは結構険しくてなかなか一筋縄ではいかなそう。とりあえず今年はdiagnostic cytopathologyを中心に、電顕の勉強もすることに。

次に一般診療。そろそろ卒後5年目になる。トレーニングする環境下にはない自分が目指すべき道は必然的に総合診療 or 救急ということになる。だいぶ診療は落ち着いてきたが、これを悪く言えば我流になろうとしているということ。端的に言って今の自分に足りないのは身体診察とEBMへの深い理解。

はっきり言って身体診察はいらない、というと語弊があるが、多くの場合はCTや血液検査にかなうものではない。身体診察でしか診断できないものを考えると実際の有用性はかなり低い、と思う。

ただ、まぁ「網羅的」で見逃しを限りなくゼロにするためには、文字通り頭から足の爪先までくまなく検索する必要がある。

今年は身体所見を重視して診療をしていこうと思う。

#2 Catch the future.
大好きだった3B LABのブログを久しぶりに見たら
沢山の人達に見てもらう時代は終わり、皆が好んで選び、音楽、映画や商品を選択する時代がやってきました。
僕は将来の展望をそう見ます。
と書いてあって、facebookに移行していた。この人は音楽の才能ももちろんだが、世の中を冷静に見る力がすごくあると思う。リーマン・ショックも変な勘?で切り抜けているし。

基本的には岡平健治に同意。インターネットの普及によって情報が氾濫していき、流れる情報を全て採取することが実質不可能になっている。その中で消費者は自ら選んでいく、いや正確に言うとそうせざるを得ない時代になっている。選択というコストが発生するという意味で有利というかむしろ不利になっていると思う。提供する側も同様で取捨選択される割合が増える以上、コストをかけただけの反応が必ずしも来るわけではない。不特定多数をターゲットにした広告(テレビCM等)のコストパフォーマンスは非常に悪くなっている。

なので彼も不特定多数の人に語りかけるよりも自分のことを支持してくれている人に対して語りかけたほうがコストも少なくて済み利益も多いと判断したのだろう。最もそれができるのは、「沢山の人達に見てもらう時代」を最大限に活用できた彼だからこそとも言える。それに加えて全国の弾き語りツアーをすることで共感してくれる人たちの心を繋ぎ止めているのだろう。

裏を返すともう彼は弾き語りツアーを辞めることはできない、時代が変わるまでは。

ちなみにももいろクローバーZも成り立ちからして似ている。ただ、彼女たちはlocalから始まり全国区のアイドルを目指そうとしているようだけど、他のアーティスト同様真価を問われるのは(この先何十年と生きられるかは)これからだろう。もっというとアイドル(特に女性アイドル)は寿命が短いので女優なりに方向転換を迫られるだろう。

#3 Medicine in the future
日本はアメリカを追いかけていると言われてる。この先10年くらいは医療の世界でも訴訟が頻繁に起こされてくるだろう。皆保険制度も崩壊するかもしれない。

(崩壊は絶対にしないけど、混合診療解禁など「実質的な崩壊」は十分予想される)

個人的な予想ではその後は寄り戻しが起こる。結局人間は死ぬ。例えて言えば結局今の医療(本質的にはこれからの医療)はハンググライダーのようなもの(やったことないけど)。風向きで少し上向きになったりするけど、最終的には落ちて地面につく。長距離を滑走することもできれば、短距離ですぐ落ちる人もいる。医療の限界が認識され、医療に対する見方が変わってかなり冷めたように見るかもしれない。

今はそのことに気づいていない患者さんが多くて、医療にすごく多くの可能性を求める。今の医療水準はその要求をかなりの割合で応えていると思うけど、できることが多くなった反面、できないことがすごく鮮明に映し出される。iPS細胞はすごいけれども、その恩恵を受ける人は抗生剤で恩恵を受ける人からするとぐっと少ない。

#4 And...
この先新しいことに飛びつく人が多いと思う。それはそれで重要。だけど、基本的には二番煎じには勝ち目はない。それよりも伝統工芸的な少し古いけど、技術的には安定したものを充実させていくほうが、この先10年、20年を見た時に有利ではないかと考える。

その時に選択肢となりうるのが実地診療で言う総合診療。身体診察もCT, 血液検査が簡便に行われるようになったため軽んじられるけれど(実際比重は軽い)、でも裏を返せばCT, 血液検査では分からない情報が身体診察で分かる(もっと言うと情報価値が一番高いのは問診なのだけれども)。そういう情報収集能力はCTがあろうがなかろうが使える。古い技術ではあるけれど、EBMに基づいた新しい息が吹きこまれた(つつある)技術でもある。

病理診断においてはおそらく数十年後には生検レベルでは(もっと言うと胃・大腸生検レベルでは)コンピュータによる自動診断が採用されることだろう。現実もうそういう機械ができているとのこと(ヒューリスティックな画像処理と機械学習のアルゴリズムによると)。

生検で実績が重なれば、大腸癌、胃癌程度の比較的簡単な手術はもう実用化されると思う。具体的にどうやって?いつ?と言われても答えられないけど。

少なくとも10年前には将棋のソフトがプロと互角に勝負ができるようになんて誰しも思わなかったはず。だからありえなく無い話でもない。

ルールが明瞭な将棋とは違って、ルール自体があいまいな病理診断は基準となる指標が必要。それは少なくとも現時点では完全な明文化ができなくて、バラツキもある。病理診断のスキルはその時点で(どんなにコンピュータによる自動診断が主流になったとしても)最終的な判断という意味では残るだろう。

もっともそれももっと時代がすぎれば最終的に明文化されるかもしれない。もっともっというと、病理よりもより正確な検査法が発明され取って代わられるかもしれないけれど。。。

0 件のコメント: