#1 そろそろ離れる準備
まだまだ沢山あるけれども、少しずつ「人生最後の◯◯」という機会が増えてきた。
人生最後の外科手術
人生最後の地域医療研修
人生最後の内科研修
人生最後のカテ
人生最後の麻酔
…
人生最後の当直はいつくるのだろうか。少なくとも激しいくらいに忙しい当直はもう無いかもしれない。
そういう「人生最後」を味わうための初期研修というのはそれはそれで意味があるのかもしれない。
#2 次の段階へ
自分は新しいフィールドとして病理を選んだけれども正直今本当にそれでよかったのかと思う。
多分どこに行ってもそう思うのだろうし、悩んでも仕方ないかもしれないけれども、なんでそんな重要な選択を何となくで決められたのか不思議でならない。
もともと病理に行こうと思っていたのはちょっと人とは違うこと、ある意味(根本的なという意味で)網羅的だから、という程度。
もちろん色々悩んだけれども、二つの間で大きく揺れるというよりも今病理に行くか、数年たってから病理に行くか、という程度のことで病理に行かないという選択肢はなぜか自分の頭にはなかった。
#3 究極のパターン認識
自分が病理がいいと思ったのは多分英語が得意だったというのと関係がある気がする。
多分いろいろなことに共通すると思うけれども、病理診断はパターン認識。心電図と一緒で要はこれを見たことがあるかないか、記憶を引っ張り出す作業に等しい(と思う、私見)。
もちろん心電図みたいに「これはSTが上に凸に上がっているから…」なんて後付けもできるけれども、やっぱりぱっと見たときの印象で読んでいる気がする(まぁそこまで数こなしてないけれども…)。
英語もパターン認識で、もっと言うと「受験英語がパターン認識」といったほうがいいかもしれない。
#4 新しい勉強
いろいろなことに興味をもつけれども、そろそろROIをいくつかに絞らないとこの先「何やってるんだろう…」状態になりそう。
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