2011年12月26日月曜日

雑多感

#1 IT in diagnostic pathology
病理と臨床12月号の特集は「IT活用による次世代病理」について。

パラパラとしか読んでいないけれど、興味がある内容は次の3つ。

1. バーチャルスライドによる診断について
2. スライドのコンピュータによる自動診断
3. 診断の文章の自然言語処理による解析

1. いずれはバーチャルスライドになっていくのだろうと思う。今の仕組みではスライド作成→バーチャルスライドに取り込む、というステップが必要で、一枚あたりの容量が非常に大きいことが難点な気がする。ハードディスクの容量は年々倍々ゲームになっているが、データ蓄積上の不安はある(電子カルテは文字ベースなので多分そこまで容量は食わないと思う)。

あと今のバーチャルスライドは厚みの違うスライドの場合途中で焦点がボケてしまう。ボケた焦点はどうやっても直らない。特に倍率を上げた時にそうなる。

2. これは結構難しいと思う。心電図の自動診断機能よりも遥に難しい。病理医の間での診断が異なることや「診断が出来ない」というシチュエーションをどういうふうに理解するかなど課題は多いと思う。研究ではリンパ節を掲げていたけど、基本的には正診率100%でないと診断として信用出来ない(人間で100%を求めるのは無理だけど、ミスをしない前提の機械が90%では全く使えない)。

3. 診断の文章は結構人によって好みがあるからなかなかこうとは言えないような気がする。例えば臨床での「咳、鼻汁、咽頭痛」は風邪を意味するものかもしれないし扁桃炎かもしれない。いずれにせよ咽頭痛と書くことが多い。しかし病理診断の場合は所見を書く際にはかなり診断を意識する。悪性の場合は悪性っぽく(多形性で多数の核分裂像をみる細胞が...)、良性の場合は良性っぽい(異型の乏しい上皮が被覆した...)書き方をするのでこれを解析して意味があるとすればこの病気の時はこういう所見を探したほうがいいよ、というsuggestionくらいか。

パラパラと読んだ範囲では「バーチャルスライド以外は病理診断に寄与する可能性は低い」という結論で本質的に病理診断に必須となるためには数ステップのinnovationが必要だと思う。

余談だけど、症例のデータベース化は重要。教育的にも研究的にも(実際の診断には???だけど)。

#2 Medical practice in the extremely restricted environment
前の病院が基本的にはなんでも自分のところでやってしまう(転院するのは膠原病関連くらい)、相当アクティブな急性期の総合病院だった。

なのでレントゲンや検査は基本的に24時間迅速に出来る(総合病院にとっては必要不可欠、例:脳梗塞のtPA使用など)。

ところが今は当直なんかしているとその逆で「送られる側」から「送る側」へと変わった。もちろんそれに連れて給料も上がったけど、正直変な話。苦労している人よりしていない人の方が給料が高いなんて。。。(今は自分は恵まれている方なので文句は言わないけれど)

以前は「送る側は楽だよなぁ、ちょっとSpO2が下がれば『肺炎疑いです』なんて言ってそのまま丸投げできるんだから」と思っていた。

まあ実際そういうところもあるんだけど、送る側からしたら断られた時のどうしようもなさは半端ない。

家族には「転院します」といって交渉しどこもダメで結局自分のところでみるにしても「転院はどうなったんだ?オタクで見れるのか?」といわれれば返す言葉もない。

基本的に転院させる場合はマージンを見て( 今の状況だとうちでみれそうだけど、あまりひどくなるようだったら無理だな。早めに送ろう)判断するわけだけど、その塩梅を伝えるのは(家族にも、搬送先の病院にも)難しい。

病院といえども様々。

悪くなったら転院搬送をする、でも転院先は自分で探して、と。レントゲンも撮れず心電図すらとれなくて測定できるのは血糖値くらい。基本的にはDNRの高齢者が多いから問題ないそうだが、こういう病院は怖い。

これを病院→老人ホームと置き換えたら普通じゃないかと思うかもしれないが、老人ホームと病院に求められる役割は違っていて訴えられたら確実に負けそうな気がする(検査も出来ないような診療環境で何かあった時に病院が守ってくれるとは到底思えない)。なのでこういう病院の当直はなるべく避けるようにしている。

いろいろめぐって今はまぁなんとかそれなりの条件下で仕事をさせてもらってるけど(去年の今頃思い浮かべていた状況と似たような、違うような)。

#3 Vanity of test taking
久しぶりにTECOMのホームページを見た。別にTECOMでバイトをしようというわけではない。

(たまに予備校で教える医師がいるけど、給料そんなにいいのかなぁ?と思う。有名講師になればそれなりなんだろうけど、普通の医者であればcost performanceから言って、明らかに外勤をやっている方が儲かるような気がする。。。)

受験前は隅から隅まで見てたけど、今ではふ~んと流し読み。

104回は必修が難しかっただのTECOMの模擬試験やターゲット講座は良かっただの。まあ結局変わらないのね、と言ったところ。

試験が終わって数年経てば「結局医者をやっていくのに必要なスキル」は国試の目指す方向性とはズレていることがよくわかる(国家試験-超レアな疾患+社会的な要素等)。

自分はいわゆる受験世代で幼稚園受験からしたみたいだけど(さすがに記憶はない、小学校受験はかろうじてあるけど)、結局まぁそんなものか、という印象。「すごく重要だった」とも思わないし、かといって「すごく害だった」とも思わない。

次生まれ変わってもやりたいかといわれれば「やってもいいかな」という程度(ただ、今の立場があるのも受験産業のお陰なので足を向けて眠れはしない)。

試験は受かってしまえば途端にモチベーションがなくなる。いわゆる燃え尽きなんだろうけど。でもずっと試験でも途中で脱落してしまう。いわゆるドロップアウトなんだろうけど。

自分はどちらかというと、、、(燃え尽き+ドロップアウト)/4くらい。ヤル気がないわけじゃないけど、やっぱりそんなにない。ただ次にヤル気が出た時のためにコツコツとすることはしているだけ、という感じ。

0 件のコメント: