2011年11月27日日曜日

Impact of e-learning

#1 Possibility of e-learning
東京外語大学の言語モジュールというページを見て思った。

いわゆるe-learningは大学の時にもあった。それで英語の単位を8単位もくれたから結構美味しかったんだけど、はっきり言ってちゃちかった。

専門に入ってからは4年の終わりのCBTで出てきたけれど、その時も(金は取るくせに!)糸球体を子宮体と誤変換していたりありえないくらい小さい図で解答せよなんてあったりしてまだまだだった(一応うかったけど)。

それからも時代は進歩するわけで、今ではmoodleという新しいe-learningのフォーマットもあるらしく、これから花開きそうな予感。

そして話を戻すと自分は一応第二外国語はフランス語だったので、言語モジュールのフランス語を選択していくつかやってみた。

外国語習得理論はよくわからないので、自分の経験で話をすると、外国語を勉強するとき重要なのは単語と意味と発音をつなげること。当たり前のようだけれども、従来の教材だとこれが非常にしずらい。その点e-learningはこの3つの要素を簡単につなげることができる。他にもdictationやlistening, (指導者がいれば)writingも簡単にできそう。

この教材にハマる人がいれば相当実力がつくはず、と感じた。

#2 As for medical education...
医学教育に関してじゃあどう応用できるのかといえば、ベタに言うならまずはterminologyに有用だと思う。

どうしても覚えなくちゃいけない単語(橈骨とか尺骨とか、解剖学用語は知らないと骨折すら説明できない)はゲーム感覚で覚えることができる。

後は課題の作りようだけれど、症例ベースの問題もいろいろできるかもしれない。他の人とdiscussionを(チャットで?)しながら問題に対する答えを考えていくという形式。「●●についてみんなで話しあいましょう」では医学生には難しすぎて具体的な「●●の診断はなにか?根拠と共に述べよ」とか「●●の問題点はなにか?」とかある程度誘導形式が必要。

あれ?すごいmethodが開発されたなぁと思ったけど、ちょっと考えてみると結局内容が重要だという結論になってしまったなぁ。これなら別に紙でもできる。

医学教育を専門にしている人っていうのは(私見だけど)どこか頭が固くて形式に拘っているような気がする。「どうせ採血やCT検査をするんだから身体所見はそんなに重視しなくていいよ」という人は絶対いない気がする。実地臨床上でも「肺炎患者全員にcrackleが聞こえるわけではない」のに学生時代は肺炎の所見として当然あるかのごとく習った。

医学教育というのは「学習者に期待」する要素がすごく多い。予備校とかはその反面「学習者を与えられればやる気はほどほどにあるけど、知識や自ら調べようとする意欲はゼロ」という指導法を取っている印象。

以前は予備校的な指導のほうがいい!と思っていたけど、まあどっちに傾いても多分できない人はいるだろうし、最近はあまり深くは考えていない。もし自分が教育に関与することがあればキーワードは3つで「学習者の前提知識はゼロとみなす」「やる気なしも良しとしある人には最大限の待遇をする」「きっかけを与えるように努力する」というようにしている。

#3 What to say > how to say
英語の勉強ばかりしているとhow to sayよりwhat to sayのほうが大切だよ、と言われた。自分はそんなレベルの低いことをしているんじゃないよと言おうと思ったけれど、まあ確かにその一面もある。

英語がかなりbrokenでも研究留学して業績を作って帰ってくる人もいるし、そんな人達の英語を聞いていると「よくそれで通じたなぁ…」と思うこともある。

この言葉の言いたいことは手段はあくまで手段であって目的が達成されるためならば、手段に固執する理由はないということだろう。ただいろいろな考え方があった方が多様性が確保されるわけで傘を作る職人さんを否定する理由にはならない。

そう考えると、e-learning自体を研究することを除いて、果たして目的を達成するのに紙と鉛筆、カセットテープに比べて良いといえるのだろうか。自分は本、鉛筆、紙、CD(、ラジオは挫折)で英語を勉強してきてそれでも十分学習できたので、e-learningや英会話教室自体にはあまりお金を費やそうとは思わない。特にe-learningはいつでも勉強できる=いつまでも勉強しないということになるので、例えば大学なら締め切り直前にざっとみんなでアクセスするということになる。そんな勉強で外国語に限らず身につくかといわれれば多分身につかない。これは紙と一緒。

(学習者ではなく指導者の視点として)新しい手段を提供するならば、その点を含めて(決してオプションみたいではなく本体として)設計する必要があると考えた。

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